❖あれこれ詰め込まない
俳句の文字数は十七文字です。その短い文字数の中に、あれもこれもと思いを入れてしまうと、ゴタゴタしてしまい、本当に伝えたいことが伝わりにくくなります。
いらない言葉は極力省き、一番言いたいことに焦点をあてましょう。
不要な言葉を省略したすっきりとした俳句は、読み手の胸にストレートに響きます。
❖一句に季語は一つ
俳句は十七文字で情景や気持ちをあらわす文学です。
十七文字の中で、イメージを広げるための強い味方が季語だと言ってよいでしょう。
それだけ、季語には大きな目的があるという訳です。
一句の中に季語が二つも三つもあると、その目的が薄れてしまう可能性があるので、
これを季重なりと呼び、特に初心のうちは、季重なりはタブーとされています。
でも、季重なりの有名な句はたくさんあるじゃない…その通りです。たとえば、
目には青葉山ほととぎす初鰹 山口素堂
青葉・ほととぎす・初鰹……どれも夏の季語ですね。これはきっと目に青葉・山はほととぎす、というよく詠まれる夏の言葉を連ねて、最後に江戸っ子の粋の証である初鰹という季語を持ってくるという、素堂の思惑があったのではないでしょうか。
わかった上で、あえて季重なりを利用する。これはあくまでも上級者のテクニックと考えましょう。
❖技巧に走らない
俳句を詠もうと身構えると、上手く作らなきゃと肩に力が入ってしまうでしょう。
芭蕉の「俳諧は三尺の童にさせよ」という言葉のように、
三尺(一メートル)ほどの子どもの無邪気な表現力が、俳句には必要なのです。
技巧に走らず、見たまま、感じたままを詠みましょう。
むまさうな雪がふうはりふはりかな 小林一茶
甘草の芽のとびとびのひとならび 高野素十
❖表現の手法は自由(心情俳句)
自分の感情を句の中に入れてはいけない。写生俳句を奨励するとそう思いがちです。
たしかに感情、寂しい・嬉しい・悲しい・楽しい…は俳句ではあまり歓迎されませんが、写実を基本に置いて、感情を表現することは悪いわけではありません。
春灯のもと愕然と孤独なる 桂信子
寂しいは寂しいですと春霰 飯島晴子
ただ、初心のうちはなかなか思いを端的に伝えることが難しいので、写生に徹するようにと言われることが多いのです。
自己表現…かけがえのない自分を表すための俳句です。あくまでも自由にただ基本は外れずに、自分を表現することから始めましょう。
❖表現の手法は自由(写生俳句)
俳句は自分の思いそのものを表現するものです。文字数は十七文字、その中に季語をいれる。それ以上の決まりごとはありません。自由に表現すればよいのです。
俳句はシャッターを切るように一瞬を切り取る、と説明しましたが、これは俳句の表現法の「写生」に通じます。
風景画のように写しとり、一句に仕立てる。これが写生です。
鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規
遠山に日の当りたる枯野かな 高浜虚子
写真や写生のように、風景を切り取り詠むだけで、自分の思いなどは述べない。それを名画を鑑賞するように読み手が感じてくれるのが写生俳句なのです。
❖字余りはリズムしだい
俳句は十七文字の短い文学です。五七五に収まらない場合もあります。
悩まないで大丈夫!五七五に収まりきらなくても(これを字余りといいます)
数文字程度長くなるのはOKです。
とは言っても、字余りでもリズムは大切。中七(五七五の七の部分)を字余りにしてしまうと、リズムが崩れがちなので、初心のうちは中七は守る方が良いでしょう。
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
芭蕉
みちのくの星入り氷柱われに呉れよ
鷹羽狩行
旅に病み・われに呉れ…とすれば五音になるのに、あえて字余りにすることで、余情が感じられます。字余りがリズムを損なうこともないですよね。
❖リフレインもまた楽し
音の繰り返しも、また俳句の楽しさに繋がります。
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ
坪内稔典
たんぽぽのぽぽと絮毛のたちにけり
加藤楸邨
石山の石より白し秋の風 芭蕉
たんぽぽとぽぽ、石と石の繰り返しが楽しく、どの句も魅力的です。
音の繰り返し、リフレインを上手に使ってみましょう。
❖俳句はリズムが大切!
日本語はもともと美しい言葉です。
その言葉を五七五で繋ぐのが俳句です。俳句を作ったなら、その句がリズムを損なわず、すんなりと読めるかどうかを確かめましょう。
リズム良く、なめらかに読めることが俳句作りの大切な基本のひとつです。
指を折って句を作るのも悪くありませんが、スムーズに読めるかをまずは口に出して読んでみましょう。
夏雲やくりくり洗ふ子のつむり
木附沢麦青
くりくり洗う…何ともリズミカルで楽しくなりますね。
❖歳時記を読んでみよう
難しく考えないで、まず歳時記を手に取ってみましょう。
歳時記は、季語を分類して解説した本です。その季語を使った例句も紹介してあるので楽しめますよ。
「ネット歳時記」なども簡単に利用できて便利ですが、手元に「季語寄せ」「歳時記」が一冊あると、俳人になって一句…なんて気分に浸れるかも…
歳時記を読んで、季語の面白さを知ってくださいね。
❖季語って面白い①
季語はそれだけで力がある…と言いましたが、少し詳しくお話ししていきましょう。
今のように情報手段の無い時代、人々は景色や五感で感じる気配から季節の移ろいを知りました。
例えば山…春になると山桜や山藤で山は彩鮮やかになります。これを昔の人は「山笑ふ」と感じたのです。
同様に夏は「山滴る」秋は「山装ふ」冬は「山眠る」。
もちろん春の山・夏の山・秋の山・冬の山…と使ってもよいのですが、擬人化することで山をより身近なものに感じますよね。そしてその情景をぐっと広げてくれるのではないでしょうか。
故郷やどちらを見ても山笑ふ 正岡子規
頂きに神を祀りて山滴る 髙橋悦男
水晶をもはや産まざる山装ふ 藤田湘子
人焼いて山の眠りをさまたげず 八染藍子
❖季語って面白い②
えっ!こんなのも季語?というような季語があるのを、知ってますか。
例えば…「しゃぼん玉」、「風船」は春の季語です。
どうして?しゃぼん玉も風船も季節に関係なくあるじゃない。そう思いますよね。
しゃぼん玉は、春になり子ども達が外でしゃぼん玉遊びをし始めることから、風船も春祭りなどで、子ども相手に紙風船が売られていたことから春の季語とされています。
現在のゴム風船もやはり春の季語として扱われます。
「ぶらんこ」も春の季語。冬至から105日目の「寒食の節」に鞦韆(しゅうせん)に乗って遊ぶ風習から春の季語となっています。
鞦韆はぶらんこのことです。ほかに古語で「ふらここ」「ゆさはり」などもぶらんこのことなのです。
しやぼん玉兄弟髪の色違ふ 西村和子
置きどころなくて風船持ち歩く 中村苑子
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女
❖つぶやきをリズムよく
日本の言葉は、つぶやいただけでりっぱな俳句になります。そのつぶやきを五七五にし、リズムを整えるだけでよいのです。
毎年よ彼岸の入に寒いのは
これは正岡子規の句ですが、お母さんがつぶやいた言葉がそのまま句になったものです。「彼岸だというのに、今日は寒いね」「彼岸の入りに寒いのは、毎年のことだよ」こんな会話が聞こえてきそうですね。
❖季語はそれだけで力がある
歳時記を開くと、さまざまな季語があります。
季語だけで五七五の五が賄えます。
花吹雪・夏来る(なつきたる)・秋の空・冬銀河…どれも五文字
あとは自分の気持、見たまま、行動を五七にして、好きな季語をくっつけるだけ。
季語には大きな力があります。季語を使うだけで句がぐっと奥深いものになりますよ。
❖シャッターを切るように風景を切り取る
「きれい!」「たのしい!」「かわいい!」
そんな風に感じる瞬間は、誰にでもあるはずです。その一瞬を写真のように切り取り五七五で記録するのが俳句です。
感動を文字にして、日記のように残す…俳句が日常にあると、こんな豊かな時間を愉しむことができるのです。